ご近所昔話

滋賀県甲賀市水口

しまだファームがある甲賀市水口は滋賀県の東南部に位置し、鈴鹿山系を望む丘陵地と、野洲川などの河川沿いには平地が開が広がる地域です。
 『甲賀』と聞いて、何か思いあたりませんか? そうです!『甲賀忍者』です!!甲賀市は、伝説の猿飛佐助で有名な『甲賀忍者』の地として知られています。他にも、たぬきの置物で有名な『信楽焼』も甲賀市です。ちょっと、『甲賀市』を身近に感じてもらえましたか?
 では、水口には何があるのでしょうか?水口は、古くから東国と京の都を結ぶ重要な交通路・東海道の宿場町としてにぎわった町です。今でも、歴史情緒漂う水口宿(みなくちしゅく)本陣跡や、水口城跡が残っています。

水口昔話

<城下町としての水口>

時は天正13年(1585年)、豊臣秀吉の命によって中村一氏が『水口岡山城』を築城。その後、天下分目の関ヶ原の戦いで落城しましたが、現在でも山頂には城の郭の跡があります。
 時は流れ、寛永11年(1634年)、徳川幕府の三代将軍であった家光が上洛するのに併せて築かれたのが『水口城』です。この城は先の『水口岡山城』の石材を用いて築かれたともいわれています。その後、この水口城は天和2年(1682年)に加藤明友が藩主となり水口藩が誕生しました。 現在は復元され、水口城資料館として公開されています。

<宿場町としての水口>

 水口城の城下町としての顔とは別に、もう1つの顔が宿場町としての顔です。東海道五十三次の50番目の宿駅が「水口宿」でした。歌川広重の「保永堂版」には、現在でも水口の初夏の風物詩となっている”かんぴょう”を干す女性が描かれています。また文政5年(1822年)に旅人の目印として建てられた東海道横田渡常夜燈(とうかいどう よこたわたし じょうやとう)は道中でも最大級のものとされています。